素朴な日記

日々のことを書きます。

9月の三連休、美術館行きと栗ご飯を炊いた話

9月の三連休のことを書こうとした記事が下書きに入っていた。

すっかり忘れていた。

遅くなったけど最後まで書いたので公開することにした。

よろしければお読みください。

 

9月の三連休ももう終わりという日のこと。

朝は公園へ散歩に行き、帰宅後朝ご飯を食べながら娘が見ていたホリミヤを見た。

結構おもしろい。

 

どこかに行きたくてあれこれ調べたが、時間のこともあって決められず。

東京ウォーカーのページに行き着き、そんなに時間がかからないところもたくさん載っていた。

娘を連れ出したいので、どこか行ってみたいところはないか、ページを見てもらった。

 

で、決まったのが「あっ、共感とかじゃなくて」という題名の展示会。

どこにも行きたくなくて家にいたそうだったが、どこかに行こうよと強めにさそい、どこもないけどこれがちょっと気になると言ったからだ。

不思議な名前でわたしも気になっていた。

調べたら東京現代美術館というところでやっているそうだ。

いつも拝読している方のブログで紹介されていた別の展示の会場でもあることが分かり、そんなこともあるんだと思った。

 

行くとなったらさっそく用意して2人で出かけた。

夫と息子は行かないとのことで。

バスと電車を乗り継いで行った。

 

乗り継ぎのタイミングが悪くて30分空いたので、予定を変更してコンビニで食べ物を買い、バス停のベンチで食べた。

涼しいところは1つもなくて、かろうじてバス停の壁と屋根が日陰になっていて、風もあったのでマシだった。

乗り継ぎの悪さも、人の少なさも、23区らしからぬ感じがして旅っぽくてよかった。

娘も物を食べるうちにすっかり楽しくなったようだった。

 

たどりついた美術館は広い公園に隣接していて、うだるような暑さの中でも木陰は気持ちがよかった。

とても大きな立派な建物で、外から見ると静かなものだったが、中は結構人が多く、チケット売場で5分弱くらい並んだ。

 

中も余裕はあったが人は適度に多く、見やすかった。

正直、なんのことだかよく分からない展示だった。

娘もそう言っていたが、そう言う割にあちこちじっくりとよく見ていた。

分からないものを自由に見ていいって楽しい。

分かるわけもないし、分からないままでいいと思うと楽しいのかも。

帰宅後にチラシの解説を読み直したら、よく分からないことへ共感しないできないというところから始まって、だけどその人はどうしているのかな、その壁を越えられるのかなとより深く思いやるのかもしれない、そんな世界観のようだった。

分からなくていいものだったんだね、などと娘と話した。

 

あるエリアにはいろんな世代の小学校の教科書が置いてあって、床に座って自由に見たりできた。

ここには分かりやすさがあった。

教科書はキッチンカーの中やまわりの机のところにもあった。

キッチンカーの裏側には公衆電話がついていて、ときどき電話が鳴る。

電話に出ると、小学生が質問してくるので(録音)、それに返事をしてもいいそうだ。

娘は1回目は無言で切ったが、もう1回出ると言って出たときには何か返事をしたらしい。

何と返事したかは教えてくれなかった。

 

ゆとり世代の教科書は円周率は3なのかを確かめたいと娘が言うので、そのあたりの年代の算数をいくつも見たがどれも3.14だった。

帰りのバスで調べたら、3.14で教えていたけど、計算の場合によっては概数を使ってもよいという方針が出され、結果、円周率3ってことじゃん、みたいなことが印象的に広まったのだそうだ。

ですってよ、と娘と話した。

 

帰宅後、休みの前に買ってきた栗で栗ご飯を炊くことにした。

お湯につけて柔らかくしてひたすらに剥く。

大変だったが何とかできた。

いくつかはダメになっていた。

剥かないと分からないから仕方がない。

剥けば見た目と匂いでダメなことが分かる。

ダシなどを入れて炊いた。

栗がゴロゴロ入った栗ご飯ができた。

市販の炊き込みご飯のもとも好きなのだが、調味料を適量加えて炊くご飯はもっといいなあと思った。

 

盛りだくさんの1日だった。

楽しかった。